ミケランジェロ

 昨日はレポート提出ができず、自分の不甲斐なさにボロボロ泣いていた。まだ時間はあるのにそれでも無理だと悟った。確かにやりたいことはあるし、問題意識もあるのに文章が頭の中でまとまらないのだ。

 自分にとって長い文章は彫刻のようなものである。最初からどのような形になるのか大体わかっていて、大きな石からそれを彫り出す作業である。言葉が自分を呼んでいるのだ。

 しかし今回書けなかったのはその石がバラバラになってしまったからだ。丁寧に石を扱えなかった自分の脳が悪いのだろう。いまだに脳みそのチューニングが上手くできないのは問題である。

 

 なんとなく受験勉強の日々を思い出した。高校時代、既に合格水準にあった京大英語がどんどんと落ち込み、最後は英語が足を引っ張ったせいで落ちてしまった。

 覚えているのは高校時代、異様に英語が読めたことだ。習慣的に国際ニュースを見聞きし、洋書のエッセイも読んでいた。喋ることは人並みにしかできなかったが、ALTだったカナダ人とは今でも親友である。しかし浪人時代になり病状が悪化すると京大特有の複雑な構文が頭の中でどんどんとバラけていくのを感じ絶望し続けていた。そして遂には複雑な英文を読もうとすると脳がショートするようになった。てんかんである。

 

 文章がバラける、つまり処理が困難になるのはおそらく精神的な病気に由来するのだろう。しかしその先で脳がショートすると白昼夢を見たり、さらに思考が障害される。思考障害に関してはどこからどこまでが精神由来でてんかん由来なのか正直よくわからないところではあるが、脳に相当なデバフがかかっているというのは事実である。

 

 なぜこの文章は書けたのか?それはきっと石が硬かったからだろう。日々の文章を書く活動に何かヒントを見出すことが出来るかもしれない。いつか能力が最大限に使える日の来ることを願って書き続けよう。